『愛惜 宮境橋』 の碑 【上境・三ツ木】
かつて 那須烏山市東部の境地区と 烏山市街の往来は 専ら渡し船で行われていました。 渡し船による往来は、 那珂川が増水するたびに 欠航になり、 特に 境地区の人々にとって 不便を強いるものでありました。 安定した交通は、 境地区の住民にとって 長年の願いでありました。

願いかなって、 昭和24年12月、 上境三ツ木と 対岸の宮原間に 宮境橋が架橋されました。 この橋の出現により、 境地区の住民の生活の質が 飛躍的に向上しただろうことは 想像に難くありません。

宮境橋は 上境側の半分は 自動車がすれ違える程度の幅員がありましたが、 宮原側半分は 交互交通での通り抜けになっていました。
興味深いのは、 宮境橋の開通が 昭和24年12月であるにもかかわらず、 現在 残っている 上境側の橋台には、 『昭和35年度/〇〇建設/上部床〇3連施工』 と記されたプレートが埋め込まれていることです。 橋の両側の自治体で 橋の改修工事に対する 重要度が違ったため、 片側のみ幅員の広い橋になっていたのでしょうか?

以後 平成12年3月 その役目を烏山大橋に譲るまで、 実に50年以上、 宮境橋は 交通の要衝として 地元の生活を支えてきました。 増水時の危険を少なくするため、 役目を終えた宮境橋は 取り壊されましたが、 この石碑には、 その地元住民の 宮境橋に寄せる思いが 記されています。

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愛惜

     宮境橋

度重なる那珂川の洪水 「ここに何としても橋を架けたい」
地元住民の願望により 昭和二十四年十二月 遂に 積年の宿題を達成し ここより 五百米上流の地に 「宮境橋」 が 架橋された
爾来 上境と宮原とを結び この地域の人々の生活に大きな拘わりを持ってきた宮境橋 平成十二年三月 烏山大橋の開通に伴い 半世紀の生命を閉じる
私達地域住民は 在りし日の宮境橋を慕い その業績を 後の世に伝え残すため この地に記念碑を建立し その名を止める

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飾らないことばながら、 境側の住民の 宮境橋に対する愛情が 伝わってくる記念碑です。
烏山大橋南より 南東に300mほど進んだ交差点の 北東角に 建てられています。

取材日:2011/02/13 文責:小室

08-14-008

住所:栃木県那須烏山市上境三ツ木地内

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